ヒストリー・オブ・バイオレンス

以前「コンスタンティン」をみたときに、天国や地獄の話をしつつも基本的には「タバコを吸うと体に悪い」というあまりにも一般的すぎてだれもあえて主張しようとしないことをわざわざ映画で主張するというギャグをおもしろいと思った覚えがあるのですが、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」をみたときにも同じような印象を受けました。
西部劇のような、マフィアの話などをしつつも、基本的には結婚について(夫婦のセックスについて)、「長男は家をつがなければならないが次男は気楽でよく、長男はそんな次男をうらやましくおもうもの」といったあえて主張しなくてもいいことが描かれていたのではないか(特に、主人公の兄が登場した際、結婚はどうだ、おれは結婚したいとは思わん。なぜならいい女がたくさんいるからひとりにしぼれないといったようなことをわざわざ喋るのをみてそう思った)。嫁がチアガールの格好をして飛びかかってくるシーンがすごく情けなくておもしろく、そのセックスシーンをみながら以前テレビで島田紳助が、同年代の友人が嫁とのセックスの話をうれしそうにするのを聞いて勘弁してくれと思ったといった内容のことを話していたのを思い出した(そういえば島田紳助もすこし前にバイオレンスのせいで謹慎していた)。島田紳助というとあのなんとか法律相談所という番組に出ている橋下弁護士が以前テレビで、嫁とセックスするときにお互い高校時代の制服を着てすると盛り上がるといったような内容のことも話していた。
そしてそういったテーマ、結婚についての話というとやはり小津映画、というわけで最後の夫婦の切り替えしショットは小津映画を踏まえてのもののように思えて、そうすると小津映画を踏まえたセックス、暴力の撮り方がどんなだったかととても気になりはじめるが、小津映画のことを思ったのは最後のシーンでだったのと、暴力シーンのスピードについていけずどんなカット割だったか覚えていない。なんでもかんでも小津映画と結びつけて考えるのは、なんでもかんでもアメリカという国と結びつけて映画を論じるのと同じくらいばかばかしいけど、小津映画にはほとんどでてきた記憶がない階段という場所でセックスをするところとか、細かく考えたらおもしろいかもしれないと思う。でも「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は小津映画、とか言うのはそう言ったら意外性があっておもしろいのではないか、そんなことを言うひとは鋭い洞察力を持ったひとだと思われるのではないかといういやらしい気持ちがあるのでいけないことだとも思う。もう二度とそういったいやらしい気持ちで映画について考えるのはやめたい。もっと違う形で映画について考えられるようになりたい。
主人公の男の過去が回想シーンとして挿入されることがなかったのはかっこいいと思った。オープニングで悪者二人がモーテルで働くひとたちを殺害、生き残った子供に向けられる銃口→子供の叫び声、そして子供をなだめる主人公という流れでは、悪者ふたりのシーンでの、悪者と悪者に襲われる子供という関係をひきずった状態で主人公の子供が叫ぶシーンをみることになるので、まるで悪者ふたり=主人公のように錯覚し、主人公が過去に誰かを殺したのでは?と思わされるようになっているその機能的な演出がかっこいい。