「吉野大夫」

後藤明生先生の「吉野大夫」についてですが、以前読んだ「挟み撃ち」よりも「吉野大夫」のほうがおもしろいと感じました。
蓮實先生の「小説から遠く離れて」という評論は図書館で立ち読みした程度で、中身についてはほとんど覚えていませんが、そこから(宝探しみたいな話は恥ずかしいしつまらないからダメ)という印象を勝手に受けて、いつからか蓮實先生は偉いと強く思っているので、そんな宝探しみたいな小説は書くまいと思っていたのですが、まさに「吉野大夫」はそういった意味で恥ずかしくない小説でした。小説の冒頭近くで挙げられた吉野大夫についてのいくつかの疑問が、最後になっても結局解決されなかったというところが、「挟み撃ち」よりも、この小説が目指しているところをわかりやすく示していたためにこちらのほうがおもしろいと思ったのかもしれません。結局ひとつも疑問が解決していない、というところでは大げさに「やられた!」と思いました。
(宝探しみたいな話は恥ずかしいしつまらないからダメ)という気持ちは、やはり蓮實先生がそう言ってるからというのが大きいけど、自分なりに後から考えたのは、小説のおもしろさはスタートからゴールにたどり着くこととか、なにか謎があってそれが明らかにされることなどにあるのではなく、読むこと自体がおもしろくないとダメだから、読むこと自体のおもしろさをアピールするために、話の内容についてはどうでもいいこと、読むことがすごくおもしろいけど、だからといってその文章を読んだからといってなにか教訓が得られるとか人間的にどうかなるとかそういうことはないほうがかっこいいに違いないということで、そういう考え方からいくと、吉野大夫の話の途中でお酒をどういうペースで飲んでいるか、といったようなどうでもいい話になっていってそれを読むのがおもしろいと思えるところがかっこいいのですが、最近この考え方が果たして正しいのか、もっとおもしろい小説を書くためには違った考え方をすることが必要ではないのかと思い始めたため、なにかご意見がいただけるとうれしいです。
吉野大夫についていろいろ文献を探る中で史実が絡んでくるあたりも読んでいて楽しい。俺は、冨永監督の「亀虫」のナレーションみたいに、海峡の名前とか歴史の年号とかがひとつの文章のなかにポコポコ出てきてなおかつ話自体はくだらないものが今とてもおもしろいと思うので、「吉野大夫」みたいな小説は理想的かもしれません。
あと、五章の途中、「何かの使命を帯びて、吉野大夫を研究しているわけでもないし〜」からはじまる少しエモーショナルな文章は、誰に頼まれたわけでもないのに小説を書こうとしている自分にとって、グッとくるものがありました。
……これでは「吉野大夫」からなにかを学んだことになるのか疑問ですが、吉野大夫というキーワードを巡ってそこから脱線を繰り返しながら、おもしろく文章を読ませていくスタイルは、むつかしそうだけどなんとか真似してみたいと思います。

また時間のあるときに、ゴーゴリ先生の「外套・鼻」の話者の立ち位置のおもしろさについても考えたいのですが、今俺が小説について考えるための教材が渡部直己先生のものしかないので、他にためになるものがあったらぜひ教えてください。もっと勉強しておもしろい小説を書きます。