豆の力

とはいえ、写真撮影の際に梅ちゃん先生の疲れた表情を見てしまったこともあり、憂鬱さが再び頭をもたげてきた帰り道、駅前のジュンク堂に寄りました。
ここはつい最近場所を知ったんですけど、本の品揃えが良くて楽しい所です。
経済関係の書棚で、『経済学という教養』という本を見かけました。
その本の帯には「『人文系ヘタレ中流インテリ』に捧ぐ」とありました。
『人文系ヘタレ中流インテリ』予備軍である私は、なんだかちくちくするコピーだと思いました。
結局その本は気になっただけで買わず、『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』をレジに運びました。この本は私が尊敬するkajikatz先生の本棚にも並んでいたので気になっていたのです。
すが秀実先生と渡部直己先生の毒舌が、おすぎとピーコみたいでおもしろそうです。

本書は、二十世紀も暮れ方の今日にあってなおそれでも作家になりたいと思っている人々に向け、ひたすら学校教育的な配慮に貫かれて書かれている。(・・・)①馬鹿でも作家になれること、②馬鹿しか作家になれぬこと、③馬鹿では作家になれぬことの三点が、具体的な文芸技術の解析とともに語られてある本書は当然、この本を読んで作家志望者が逆に激減するという事態もまた、おおいに世の中のためになると確信するものである(・・・)

この本の「心構え編」に目を通したのですが、やはりちくちくしました。

すが―本なんか読まないほうが作家になりやすいんです(笑)。
渡部―また、そんなミもフタもないこといって(笑)。
すが―いや、読んだらダメなの。作家になりにくくなると思うよ。僕もかなり不勉強な人間だと自分で思いますが、いままでこういう作品が書かれていたってわかってしまえば、もう怖くて書けなくなるもの。書けるのは知らぬ者の強みなわけ。

つまらない『ヘタレ中流インテリ』になって、何も書けなくなるのを防ぐためにはどうすればいいんでしょうか。直感的に、「ギャグのセンスを磨く事」だと思うんですけど、どうなんですかね。その前に『ヘタレ中流インテリ』はむしろたくさん書いてしまうほうなのかもしれませんしね。
中途半端に教養があっても、ギャグがつまらないと駄目だと思います。もちろんギャグも一つの教養です。
豆飛ばしの持つ破壊力を文学で。例えばそういうことです。
豆飛ばしながら面白がって多くの作品を横断していくしかないのかな、と今は思います。
その前に最初に挙げた課題やろうぜ。