バーコードバトラーのこと

Mはまだバーコードバトラーのことを考えていた。あのゲームには、あらゆる商品のバーコードが自分のバトラーになりうるというロマンがあったはずだ。ポケモンカードをおじいやおばあに大量に買わせる孫とは訳が違う。
例えば、ひとりの少年が〈糸こんにゃくのバーコードが強いに違いない〉と考えたとする。そこに根拠はないけれども、とにかく少年はそう考えた。彼はスーパーマーケットの食料品売り場に駆け込み、カゴも持たずに白い蛍光灯に照らされた豆腐や油揚げなどが並ぶコーナーで糸こんにゃくを握り締める―それを影で見ていた万引きGメンが〈こんにゃくが飛び散る!〉と息を呑む程に。その隙にマグロの切り身を万引きしたサラリーマンの男性がいたことはこの際忘れよう。幸いにも飛び散ることなく糸こんにゃくはレジの中年女性に手渡される。あら、おつかい、えらいわねえ。ちがわい、おいらはこれから闘いに行くんだい、このバトラーで。
少年は勢い良くマーケットから飛出す。飛出した瞬間にトラックにはねられてしまい、こんにゃくが真っ赤に染まるのを見つめながら運転手の顔色は蒼ざめていったという可能性はこの際無視しよう。家に帰ると、少年の母親は彼の手に握られた糸こんにゃくを見て、あらあら、どうしたの、そんなもの買ってきて、おつかいなんて頼んだ覚えないわよ、しょうがないわねえ、今夜はすき焼きにしましょうか。やったあ、ありがとうママ。ポケモンカードを大量に買ってきたところで、母親はすき焼きを作ってはくれないのだから、バーコードバトラーの果たす役割は大きいと言える。食事のあと、切り取っておいた糸こんにゃくのバーコードをカードに貼り付けようとして、ビニール製だからうまく貼れず少年はいらついたかもしれない。たとえ少年がいらつき、結局そのバーコードはバトラーとして使えなかったとしても、スーパーマーケットへ駆ける間、レジの女性と話す間―そしてトラックの下で走馬灯のように―頭の中には、こんにゃくの糸を左手のひらに開いた穴から噴射して敵をがんじがらめにし、右手に装着したドリルで相手の腹部を突き破るバトラーの姿が映し出されていたはずだ。そんなバトラーを想像することが、あのゲームに漂っていたロマンだったはずだとMは思った。気がつくと、汗は乾いていた。長く休憩しすぎたようだ、Mはカッターシャツの袖をまくり、再びダンボール箱を持ち上げた。今日の仕事は、物品庫①から物品庫②へ、粗品のサラダ油の詰まったダンボール箱を移し変えることだった。①から②へ、黙々とダンボール箱を運んでいると、「倉庫番」というゲームが思い出された。あれはどんなルールだったか、と考えながら部屋の隅に目をやると、そこにはオドラデクがいた。オドラデクは肺のない人のような声で笑った。落ち葉がかさこそ鳴るような笑い声だった。