森島の逆襲

クラーク博士

ついに恩師にこの「森」を目撃された。いつかは目に触れることもあるだろうと思い、何度もオンシオンシと繰り返してきたが、「見たぞ」とメイルを頂いた時には比喩でなく本当に身体が震えた。誰に読まれるかわからないという可能性を視野にいれて始めたはずだったけれど、回を重ねるごとに自己満足に過ぎないものになっていたと思う。いやそうではなくて、自己が低いレベルで満足してしまうことが問題だと思う。これを機に、緩んだ気持ちを締めなおして勉強していきたい。でないと全く意味がない。
『エレファント』と『殺人の追憶』についても、前者が「見えない」こと、後者が「見られる」ことに関わる映画だと指摘してくださり、そのようなちょっと真剣に考えれば分かりそうなことも自分は見逃し、考え逃していたのだから、また「同じお金を払って・・・」と思わずにはいられない。
映画をもっときちんと観ることができるようになりたいという気持ちはもちろんあるが、小説をもっときちんと読むことができるようになりたい(そしてきちんと書くことができるようになりたい)という気持ちも強い。「森」が恩師の目に触れて、私が小説を書きたがっているということも発覚したので、この際、と思い、(こんな私みたいな者が)小説を書こうなんて馬鹿げているでしょうかと質問をしてみたところ、「じゃんじゃん書きなさい。だって、書くことと読むことは、生きることとほとんど同義でしょう。ただ、いまや映画を撮ったり見たりすることも、小説を書いたり読んだりすることも、孤立する覚悟がないとできないわけですから、そのつもりで。」というお言葉を頂いた。勝手にメイルを転載するのは非常に申し訳ないけれど、私はこの言葉に心を動かされたので(それくらい落ち込んでいたとも言える、つまり五月病というやつか)、ここで自慢する。自慢というよりも、これから先の自分を奮い立たせる意味で、もう一度ここに書き付けておく。

じゃんじゃん書きなさい。だって、書くことと読むことは、生きることとほとんど同義でしょう。ただ、いまや映画を撮ったり見たりすることも、小説を書いたり読んだりすることも、孤立する覚悟がないとできないわけですから、そのつもりで。

ついでに、今新人賞を狙うなら『新潮』か『早稲田文学』とお勧めしていただいた。確かに両方とも審査員が素敵な方ばかりなので、これらの文学賞に選ばれる作品は面白いものに違いないと思う。『早稲田文学』の方は締め切りが八月らしいので、かなり厳しい。もっと勉強する時間が欲しい。これから先何年か同じ審査員でお願いしたい。私はまだつい最近金井美恵子先生を読み始めたばかりで、ロブ・グリエに至っては手をつけていない状態だから。とにかく、今までは『早稲田文学』がこの辺りでは売られていないので、名前くらいは知っていてもわざわざ手に入れようとはしなかったのだけれども、ネットで注文して郵送してもらうことにした。群像の新人賞より、タイトルからして面白そうだ。