追憶の二〇〇四年

十二時過ぎ、起床。雪が積もっているかと思っていたが、晴れ。「笑っていいとも」観ながら昼食。出前一丁と、なにやらもちもちしたパンを二本。ヨーグルトとバナナ。「ごきげんよう」に間寛平先生が出ているのを途中まで観る。寛平先生の声はやはり良い。その後、ジャック・タチ先生の『トラフィック』を観る。おもしろい。車の中で人々が鼻くそをほじりまくっているが、それでもなんとなく上品なのは何故だ。フランスの力か。続けてゴダール先生の『女は女である』を観る。おもしろい。アンナ・カリーナに夢中になる。変てこだけど、なんとなく上品。フランスの力か。両先生ともフランスの「変なおじさん」じゃないかと思う。日本が誇る「変なおじさん」と言えばもちろん志村けん先生だが、彼は本当に素晴らしい。エロでハゲとくれば最強じゃないかと思う。タチ先生もゴダール先生もなかなかのエロじゃないかと予想するが、志村先生のような剥き出しエロの強さはない。もうおっぱいとか大好きな感じ。ハゲなのに後ろ髪が長いあたり最強。「ダッフンダ」は最強のギャグ。現代の小説や映画はラストで苦労しているという話を読んだが、「ダッフンダ」は全ての物語を完璧に終らせる力を持つ。『女は女である』の終わり方も可愛らしくて好きだが。本の題名で二人がやりあう辺り、ラーメンズ先生を思い出す。
十六時、塾のアルバイトへ。途中でツタヤに寄りビデオなど返却。ジョン・カサヴェテス先生の『グロリア』も前の晩に観ていた。おもしろい。何故こんなにおもしろいのか気になる。男の子の演技が素晴らしかった。彼の英語はよく聞き取れるなと思っていたら、それは発音が下手くそなキャラクターだからなのだった。がっかり。くるり先生の『図鑑』も借りていた。「ミレニアム」という曲の最後がどうしても所ジョージ先生の声に聴こえるのは気のせいか。ジョージ先生といえば、実は筋肉がすごくて驚いた覚えがある。彼はイーストウッド先生みたいな親父になりたいのだろうか。ついでにブックオフにも寄る。高橋源一郎先生の『追憶の一九八九年』を発見。さらに金井美恵子先生の『恋愛太平記』の単行本、二冊発見、どれも100円。保坂和志先生の『カンバセイション・ピース』も発見。『恋愛太平記』はすでに文庫でも手に入れていたがやはり購入。表紙のチョコレートの写真に惹かれる。金井先生の本は見つけると買ってしまうが、まだ読んでいない。1999年のスタジオボイス二月号で金井美恵子先生のインタビューを読んで以来、おっかなくて「寝る前にちょっと読むか」とはいかないのがその理由。
十八時からアルバイト。塾の室長が転勤になるというので、色紙に寄せ書きを書く。「一番身近な社会人として、Mさんからは色々学ばせていただきました。たまに目が真っ赤で、社会人は大変なのだと思ったりしましたが、いつもスーツがパリッとしててかっこいいです。見習いたいです。これからも体に気をつけて、がんばってください。」まあ無難な所じゃないか。
二十二時、バイト先を出る。帰りの電車で『追憶の一九八九年』を少し読む。高橋先生の日記。奥さんのNさんがカエルが苦手で、高橋先生が道にカエルの死体が落ちていないかいちいち確認するところが素敵。若い作家の夫婦というと、村上春樹先生の「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」を思い出す。途中で地元のブックオフにも寄る。金井美恵子先生の『軽いめまい』を購入。先日から目をつけていたもの。前来た時は財布に250円しかなく、宮沢章夫先生の『茫然とする技術』を100円で買って帰った。
二十三時半ごろ、帰宅。シャワーを浴び、「探偵ナイトスクープ」観ながら食事。豚の角煮とロールキャベツ。「探偵〜」で仮面ライダーになりたいという38歳の主婦が登場して笑う。食事後、日経新聞の夕刊に目を通す。高校の文芸部が活気付いてきたとのこと。二人の若い女の子の芥川賞受賞を受けて高校生が文学に興味を持ち出したという。今では文芸部は「ダサくない」らしいが、新聞の写真に写っていた高校生はどう見ても「ダサくなくはない」。高橋先生もコメントを寄せている。「背景にはインターネットの普及があるのではないか」、なるほど。自分が高校生の頃は教室で本なんか読んでるのは「ダサい」やつだという空気があったので、家でしか本を読まなかった。もちろん文芸部なんてなかった。あの頃自分は何をしていたか。友人と自転車をこぎまくって遠くのディスカウントショップへアダルトビデオを買いに行ったりしていた。一番老けた友人に買わせた。そこで買ったビデオは「瞳リョウ」のものだった。「瞳リョウ」が一人二役を演じており、女子高生の「瞳リョウ」が、もう一人の大人の「瞳リョウ」と間違えられ、勘違いされたまま大人の「瞳リョウ」と付き合っている男とセックスをするという話。男が「こんな子供っぽい下着なんかつけて今日はどうしたんだ」と言っていたのを覚えている。買ったばかりの『軽いめまい』を開いてみると、ほぼ4ページ分「。」を使わずに文章が続いていた。ああおっかない。
二時ごろ、高橋先生が新刊『私生活』を出したことに気づく。表紙で乳首まで見せて。こんなところにも「変なおじさん」がいたのか。