「〜だらだらした感想」の嫌なところ

あなたの『ロスト・イン・トランスレーション』についての感想を読みました。それで幾つか嫌な点があったので、ここで指摘しておこうと思います。
まずは、全体的なことについてですが、あなたが「感想」においてやろうとしたことは、要するに「散らかった部屋でだらだらしている映画」について語る文章もまただらだらしたものであったなら、おもしろいのではないか、ということでしょう。仮にそのアイデアがおもしろいものだとして、それならば、あなたはあの「感想」の分量よりももっと長く「だらだらした」文章を書くべきだったはずです。なぜそれをしないのか。それはただあなたが怠慢であるからだと思います。
また、「だらだらした」文章でありたいと願うのなら、なぜ「観光」などの分かりやすいキーワードに飛びついたのですか。キーワードを二つ並べて、図式的に物事を捉えることの良し悪しは置いておいても、「だらだら」するためには、どんなキーワードも用いずに逡巡を続けるべきだったのではないでしょうか。そしてそうした姿勢こそ、「学習」というもののあり方であるとは言えないでしょうか。
二つ目には、あなたはどうやら監督であるソフィア・コッポラと、主演女優とを同一視しているように思われます。それはあなたの文章からは両者がともに散らかった部屋でだらだらしているのが好きである、と読み取れるためです。この二人を混同して捉えていることは問題であり、両者の距離について考えることこそ、あなたが書きたいと願う小説というものにつながっていくと思えます。そこに登場する人物は、決して散らかった部屋でだらだらする自分が「好き」という素振りをはっきりと見せるわけではありません、あくまでも、散らかった部屋でだらだらしているのが好きなのは、それを捉えるカメラではないでしょうか。このカメラの視線から伝わってくるのが、「部屋でだらだらしているアンニュイなあたし、どう?」というソフィア監督の自意識なのだとしたら、結局は登場人物も、物憂げな表情をしつつそんな自分が好きということになり、両者を同一視することも可能になるのでしょうが、どちらにしてもそうした過程を省略して女優と監督とを混同するのは、やはりあなたの怠慢でしょう。
三つ目に、さきほども少し触れましたが、あなたが「観光」という言葉の定義が曖昧なまま話を進めている点もやはり問題でしょう。この「観光」というキーワードがこの映画の話をするうえで有効な物かどうかは別として、この機会に「観光」というものについてじっくり腰を据えて考えてみることはよい「学習」になるのではないでしょうか。例えば、あなたはロンドンに旅行した際、アビィ・ロードを見に行ったそうですね、その時の経験について、「みながビートルズを真似て、横断歩道を歩いているところを横から写真撮影して帰っていく。なぜビートルズ目線の写真や、もっと様々な角度からの横断歩道の写真を撮らないのか」とあなたは語っていましたが、そこに「観光」について考えるきっかけが潜んでいるとは思いませんか。これもまた、小説の題材のひとつとして使えるのではないでしょうか。

以上が、「森島の学習」を読んだ祖母からのメイルです。祖母は一年ほど前に、糖尿病が原因で起こる心筋梗塞で倒れましたが、その後食事療法などで回復し、いまではこのように元気に、私を見守ってくれていて、とてもうれしく思います。そんな祖母が、添付ファイルとして送ってくれた「小説の題材にしてはどうか」というものもここに載せておきます。

日経新聞の夕刊をみていたら、おもしろい記事があったので送ります。役に立つといいのですが。

「これが私たちが稚魚(シラスウナギ)まで育てることに成功したもの。全部で十五匹。大きいのは約四十㌢まで成長してきた」。三重県五ヶ所湾に面した、独立法人水産総合研究センター養殖研究所。一角にある海洋実験棟で、ウナギの稚魚にえさをやりながら、繁殖研究グループ長の田中秀樹(46)がほほ笑んだ。
昨年七月、田中らはウナギに関する世界初の研究成果を発表した。「人工ふ化したウナギをシラスまで育てることに成功し、完全養殖への道が切り開かれた」というものだった。
(中略)
「ウナギの完全養殖は、クロマグロとともに難しいとされていた。それなら一つ挑んでみようかと思った」。研究に乗り出したものの、いい親魚探しなど苦労の連続。人工ふ化に成功しても幼生のえさは何がいいか、それをどう食べさせるか。せっかくふ化させた幼生を全滅させることもしばしばだった。
こうして九九年、飼育したウナギから採った卵を人工ふ化させ、幼生を全長三㌢ほどまで育てることに成功した。しかし、幼生からシラスウナギに変態させるには、まだ大きなハードルがあった。「やはりいいえさを見つけることが課題だった」。田中は言う。
ようやくサメの卵のペーストにビタミンやミネラルを混ぜたりして格好のえさをつくり出した。さらに、飼育装置の明るさや水質など改良を加え、昨年七月、念願の幼生からシラスウナギへの変態に成功したのだった。
「決してあきらめずに続けてきたから成果が得られた」。田中は今も継続を大切にする。多忙な研究の日々でも一日五回、育ち盛りの稚魚たちにえさをやるのが大事な日課。実験室に足を運ぶたびに稚魚らの成長ぶりを見るのが楽しみだ。
「えさをやると喜んで食べてくれる。その姿を見るとがんばれよと声をかけたくなる。えさの改良などを進め成功率を高めたい。人工生産が可能になれば生態の解明が進むし、天然シラスの保護やより安全な種苗の安定供給にもつながるから」。田中の夢もまた成長を続ける。

この記事のおもしろさというより、新聞記事の文体のおもしろさというべきなのかもれませんが、地の文と会話文との間にほとんど変化(テンションの違い)が見られず、便宜的に鍵括弧を用いて、田中さんの喋ったことを思い切りこちらの都合で文章の中に組み込んでいるその様子がどことなくおもしろいとは思いませんか。また、平明な文体を心がけつつ、内容的にはエモーショナルなところが見られるのもおもしろいかもしれません。〈実験室に足を運ぶたびに稚魚らの成長ぶりを見るのが楽しみだ。〉というところは、鍵括弧の中でもないのに田中さんの心情に切り替わっており、その切り替わりが最後の〈田中の夢もまた成長を続ける〉といういささか強引なしめくくりへの伏線となっている点も興味深いのではないでしょうか。とにかくここから何を「学習」するかはあなたの自由です。怠けずにがんばるのですよ。