肉汁をめぐって

机の上を整理しようとしたら、高校生の頃に書いた小説が出てきた。コクヨの20×20の原稿用紙9枚に書かれたそれを見つけたとき、俺はおののいた。
書いた、ということだけは覚えていた―17歳か18歳の俺は、コメディアンになりたいと願っていて、しかし人前に立つ事は恥ずかしくてできず、ただノートに思いついたコントのような物を書きとめることを日課としていたのだが、ある時、どうせノートに書くだけなら、小説のような形でなにかおもしろいことができないかと思い立ち、学校に提出する感想文用の原稿用紙の残りなどに、特に何かを恐れることもなく、書いたのだった。それにしても、9枚・・・・まったく推敲された形跡のないそれは、これまで誰の目にも触れずにずっと机の上の片隅で埃を被っていたのだ。確かに自分が書いたものだと覚えてはいるが、どんなことを書いたのか、細かいことはすっかり忘れている。おののきつつ、「¥190」という値札シールがついたままの表紙をめくると、「教会と肉汁」とあった。どうやらタイトルらしい・・・・

教会と肉汁
(前略:紙芝居師の老人に鞭で叩かれる夢をみている「僕」について)
 何か飲みたい、飲まなければ狂い死ぬ、そう思って冷蔵庫を開けようとしたその時、隣で寝ていた赤瀬川君の鼻から鼻提灯がふくらむのが見えた。見えてしまった。

「赤瀬川君」、たしか当時は「老人力」ブームだったような気がする。
「見えた。見えてしまった。」なぜ重ねるのか・・・・重ねればおもしろいのか・・・・
一行が無駄に空けられて、続いている。

 僕は赤瀬川君の鼻から鼻提灯がふくらむのをぼんやり見ながら、牛乳を飲んだ。鼻提灯を見るのは何年ぶりだろうか。子供の頃、夏祭りで父親と一緒に見たのが最後だっただろうか。赤瀬川君は二、三日前には耳提灯をもふくらましていた。この人は心の底からふくらますのが好きな人だ、と僕は半分あきれ、半分感心した。そうして三十分ほど彼のこさえた鼻提灯を見ていたら、自然と鼻提灯に手をのばしていた。鼻提灯を掴むやいなや、僕の体はふわりふわり、そろりそろりと開けっ放しの窓をすり抜け、空高く舞い上がっていった。そして、そんな僕を見て「すごいね」と声をかけてくれる人間は誰一人としていないのであった。

「夏祭りで父親と一緒に見たのが最後だっただろうか」、こういうホラを積み重ねていくのは、いまでも結構好きかもしれない。俺は成長していないのか・・・・・
「耳提灯」はちょっと調子に乗りすぎて嫌だ。
「そんな僕を見て『すごいね』と声をかけてくれる人間は誰一人としていないのであった」、「のであった」っていうのは、いまはあまり好きじゃないような気もするけど、なんとなくこの付けたしはいまでもやらかしてしまいそうだ。
それにしても、わざわざ「掴む」という漢字を辞書で引いたんだろうなと思うと泣ける。「掴」の字だけ、少し大きめなところが、いかにも書きなれていないという雰囲気で。

(中略:空から見下ろす信号機について・信号機の下に立っている老人について)
冷やし中華、中華、中華だ、中華料理が食べたい、食べなければ狂い死ぬ、そう思って僕は空から街を見下ろして、中華料理店を探した。するとなんとちょうど僕の真下にあるではないか。これは極めて好都合だ。しかし僕が眼下にある中華料理店に入り、中華料理を食べるためには、僕は地上におりなければならない。しかし僕がつかまってぶら下がっている鼻提灯は、いっこうに下降する気配すら見せない。僕は三十分ほど悩んだ。そして、鼻提灯を割ってしまえば地上におりられるのではないかという結論に至った。
 鼻提灯を割るとなると今度は何で割るかが問題だ。僕は何か尖った物を身につけていないかどうか探した。胸につけている缶バッチを見つけた。このバッチは、いつも必ずつけているバッチだ。眠っている時も起きている時もずっとつけているバッチなのだ。赤い文字で「静岡」と書かれたバッチである。
(中略:かつてバッチをプレゼントしてくれた女友達、豆腐屋さんの娘「にがり」と卓球をすることについて)

どのようにして地上に降りるか、と「僕」が考えを巡らせるこの部分は、もっと粘って考えを巡らせつづけるとおもしろくなったかもしれない。どう粘るか、と考え出すと、描写の量はどれくらいが妥当なのか(場面に応じて)、という答えがなかなか出ない疑問に突き当たり、4、5年経ったいまでもやっぱり成長していないのかと思えてくる。「静岡」については、このあとまったく言及されることはない。

 さあ、バッチのピンで鼻提灯を割ろう、と思った直後、僕は気がついた。ただ単に手を離せばすむ事ではないのか。僕は両手をそっと離した。そして、中華料理店の店先めがけて恐ろしい勢いで下降していった。
 腰を強く打ちつけはしたものの、僕は実に上手に店の前に着地した。腰を打った時点でそれは上手な着地とは言えないのではないか、と思う人もいるかもしれないが、それは間違いである。着地というのは非常に難しい事で、腰を打ったくらいで済んだならそれは上出来なのだ。僕はいつだって上出来なのだ。
 それは僕の予想通りの中華料理店だった。カンバンの薄汚れ具合や、店頭に置いてある見本のラーメンの嘘くささ、そういったものすべてが予想通りだった。

なぜか読者を意識した「と思うひともいるかもしれないが」。なぜこんなところで意識するのかよくわからない。結局誰にも読まれぬまま埃を被っていたのだから。
それにしても、中華料理店の描写がまったくおもしろくなくて困る。「見本のラーメンの嘘くささ」を指摘するだけで満足といういかにも思春期らしい描写だと思う。「僕はいつだって上出来なのだ」と宣言する程度に狂っている語り手なのだから、もっと中華料理店に対しておかしなこだわりがあってもいい。あるべきだ。

 だがその予想通りもそう長くは続かなかった。店のドアを開けると、そこには頑固そうな中年男が仁王立ちで立っていた。かなりやせており、頭ははげあがり、汚いヒゲをたくわえて、恐ろしく小さな目をした中年男だ。

なんとも貧しい描写・・・・「頑固そうな」、「中年男」、「仁王立ち」、「汚いヒゲ」、それで満足してしまう魂に真剣に脅えるしかあるまい・・・・・
「痩せ」「禿げ」「髭」という漢字は辞書で調べなかったとみえる。

その中年男はドアを開けて入ってきた僕を見るなり、「マカロニグラタンしか作れねえよ、この馬鹿野郎」とどなりつけてきたのであった。僕は一瞬おどろきのあまり意識を失ったが、すぐに意識をとりもどした。そして、中華料理店というカンバンをかかげておきながら、マカロニグラタンしか作れねえとはどういうことか、なぜ大卒の僕が馬鹿野郎呼ばわりされなければならないのか、どうしても納得がいかず、腹わたがにえくりかえり、体じゅうの穴という穴が開き、一言、「死ね。グラタンきちがいの孤独男」と言い放ち、勢いよく店を飛だしたのだった。
 僕は勢いよく店を飛び出し、もよりの駅に向かって全速力で駆けた。なぜ駆けたのかというと、中年男が追いかけてきて僕をつかまえ、何かひどく痛むようなことをするのではないかと思い、怖かったからだ。怖かったから走って逃げたのだ。駅につくのに十五分かかった。さあ、電車に乗って赤瀬川君がうっとりした顔で眠るアパートに帰らなくてはならない。僕はここ二、三年電車を利用したことがなかったので、少々不安だったが、気持ちを落ち着けて切符を購入し、駅員の前をするりと通りぬけて、ベンチに腰かけて電車を待った。甘ったるいコーヒーを飲みながら。電車はまだ来ない。と、その時、僕の隣にとても美しい女性が腰を下ろした。時計の長針よりもしなやかで、短針よりもはかない、とても美しい女性だ。僕は彼女に恋をした。数字にすれば二億、彼女に恋をした。しかし彼女と僕とでは教会と肉汁のように差がありすぎる。とてもつりあうはずがない。僕は彼女に恋をするのをあきらめた。そしてしばらくしてやって来た電車に乗りこみ、眼を閉じて電車の揺れに身をまかせるのだった。おわり

おわった。ここまで書き写したことを後悔しても仕方がない。この辺りを読んでみると、読者に対して話の筋を説明することに必死で、小説としてのおもしろみが足りないように感じた。その「説明することに必死な様」自体がおもしろく感じられる場合もあるかもしれないが、やはりもう少し余裕がほしい。
結局最後の最後で、「教会と肉汁」は「月とすっぽん」を言い換えただけということが明らかになり、落胆するんだけど、その落胆はたぶんこの高校生も狙っていたんだろうと思う。でもいまの感覚でいくと、「教会と肉汁」というタイトルにするなら、「教会」も「肉汁」も小説の中に、実際に登場させるだろうと思う。この原稿用紙を発見する前から、これからの小説の中で「肉」について書こうと思って『肉屋さんが書いた肉の本』とか『食の文化史』という本を買っていて、幾つになっても「肉」とか「肉汁」とかが好きなのかと、まったく意識していなかった俺自身の嗜好に気づかされることになった。
いま「肉」について書きたいと思うのは、本当に「肉」そのものについてで、大きな赤身の肉が頑丈なテーブルの真ん中に置かれており、そのテーブルが置かれた部屋には赤外線監視装置が仕掛けられている、という断片的なイメージがある。今回、高校生の頃の自分から、「肉」について書くなら「肉汁」のことも忘れるなよ、と指摘されたような気分だ。数字にすれば二千六百、指摘されたような気分だ。