あとがき

静男先生や美恵子先生の「話のずらしっぷり」が最近の主なおもしろがるポイントになっていて、自分もできるだけおもしろく話をずらしていきたいとは思っているんだけど、もっといろんな種類のおもしろさを、ともちろん思ってもいて、最近「神聖喜劇」と「言葉と物」を読み始めた。「神聖喜劇」については「一気に読むとクスリヤルヨリトベマスヨ(どこをカタカナにすればいいのかわからないからドラエモンみたいな表記に)」という噂をかなり前に耳にしていたのでやっと読み出した。読み出してすぐに、ああこういう種類のおもしろさなのかなと思ったのはたぶん「アメリカの夜」を読んでいたからだと思う。それにしてもこの細かさというかしつこさはすごい。「言葉と物」は冒頭からフーコー先生かましまくりで楽しい。「われわれは黙りこくったままおとなしく身動きしない大地に、分裂、脆さ、亀裂といったものを回復させてやろうというわけだ。大地は、われわれの足もとで、ふたたび不安に打ちふるえているのである。」という序文のかましまくった締めくくりのあと、第一部のはじめに「画家は絵から心もちさがったところにいる。」という描写からさりげなく仕切りなおすあたりでわくわくするし、「モデルに一瞥をあたえているところだ。あるいは、仕上げの筆を加えようとしているのかもしれない」の「あるいは」がいいなあ、高級感あるなあ、なんかこう「今書いてまーす」って感じがして、「小説のことわかってまーす」って匂いを手っ取り早く出せるなあと思う。「あるいは」はほんとうに手っ取り早くかっこいい文章を書きたいときに使えると思う。
どっちも分厚いので読むのにすごく時間かかりそうだし、またしばらく森島の学習は更新されないままほったらかしになるような気が・・・・たぶんその間に小説の方をがんばって書いているんだろうと思う。