ロブ=グリエ先生の『迷路のなかで』をやっと読み終わった。読み始めてすぐ、なるほどこれが「幾何学的な描写」かと思ったけど、「幾何学的」というより、数学の問題文みたいな描写に思えてしかたなかった。高校生の頃数学が苦手すぎて常に赤点をとっていた自分としては、いつ「この部分の面積を求めよ」と言われるかという不安がずっとつきまとって少しつらかった。でもすぐに面白くなってきて、それは文庫本でいうと23ページ、絵を描写しはじめたところだった。止まっている風景を落ち着いて一つずつ描写していくのがよかった。その落ち着きっぷりがよかった。この部分を読んで思ったのは、自分もデジタルカメラを買って、撮って来た写真をあとからゆっくり描写してみようか、ということと、絵画について書かれた本を何冊か読んでみようか、ということだった。後半、107ページあたりから、その「幾何学的な描写」がぐらつき始めるようなところがあって、その瞬間もよかった。全体を通して受けた印象は、映画『エレファント』で、写真を撮る男の子と撮られる男の子と通り過ぎる女の子、といったシーンを思い出した。何度も何度も反復される描写から、「描写になにが可能か」つまり「視線になにが可能か」ということが言えるような気がする。それはいいとして、ひとつ大きな問題がある。解説を読んでいたら、テーブルの描写が反復されていることが指摘されていたのだけど、はっきり言ってそのテーブルの描写自体をぼんやりとしか覚えていなかったために、反復されてもいまいちピンと来ていなかったことだ。これは困った、自分は何も読んでいなかったのか、いくら仕事の後、眠る前に少しずつ少しずつ居眠りながら読み進めたとはいえ、もう少し何か残っていてほしかった。もっとさあ、テーブルの描写っていうのが印象に残るものだったら絶対「反復だ!」ってなったと思うよ。

テーブルのニスを塗った木材面には、ほこりが、しばらくの間―数時間か数日間か、数分間、数週間―小さい物体が占めていたが、その後それが移動させられた位置を示しており、それらの物体の基底面が、なおしばらくの間、円や正方形や長方形やもっと複雑なかたちではっきり痕跡を残し、あるものは一部分重なり合い、すでに形がぼけていたり、あるものは布切れでふきとったみたいになかば消えている。ただ布切れでふきとられずにしぶとくその上に残っているもの―円や正方形や長方形でない、もっと複雑なかたちの人糞―

これだったら、反復された時に「さっきの人糞だ!」って絶対思うよ。それに、フランスの街の風景に馴染みがなくてイメージしづらいから、舞台を日本の地方都市の団地とかにして、登場人物も楽しげな人―たとえば近藤真彦とか*1―だったらもっと楽しめるような気がする。おなじ外観の団地が続く街を、マッチがZig Zag Zag Zig Zag Zig Zagとさまよう。やがてどこかからサイドカーならぬF1の音が聞こえてきて、髪をのばしたもう一人のマッチが現れて・・・・最終的には、テーブルの上の人糞は、プロデューサーに後ろから突っ込まれそうになったマッチがそうはさせるかと押し返した結果だったという・・・・・

*1:近藤真彦のアルバム「THE MATCHY」からは、冗談ぬきで学ぶべきところが多いと思われる。「スニーカーぶる〜す」や「ABAYOブルージーンお前と KIRARI命を炎やして」「ケジメなさい」などに見られる自由な言葉遣いや、「サヨナラなんて・・・・・言えないよ バカヤロー!」と叫ぶ過剰な感情表現など、ぜひ真似してみくなるものばかり。また、今マッチを聴くとなると、爆笑問題の田中やナンチャンのイメージを介さずに聴くことが難しい点も興味深い。