いまここで、ロブ=グリエ文学の隠された構造を、「机から机への距離のない歩み」へと還元する試みに加担することを、ここまで書きつがれてきた言葉が、厳しくみずから禁じているのだ。すべては表層に刻まれており、その刻印はわれわれをどこへも誘いだしてはくれないからである。扉の木目だの、壁の絵だの、絵葉書だの、雑誌の表紙だのは、だから結局のところ、想像力によってすら何ものに変貌したわけでもないのだ。ロブ=グリエ的迷路とは、最後的には、一枚のニス塗りの扉の表面の意味ありげな木目が、決して8の字模様でも裸女の拷問の図でもなく、ただ単なる木目にすぎないという裸の真実を語っているだけのことなのである。

ロブ先生が小説を立ち上げる場としてこだわるテーブル、テーブルに始まりそしてそのテーブルにテーブルがぴったりと重ねあわされていくその手つきを前にして今私が思い浮かべているのは事務副長の事務机であり、「おごるな・いばるな・あせるな・くじけるな・まけるな」という全てひらがなの標語であり、その標語を絶え間なく裏切りつづける中年男性の肉体である。仕事場の事務机に載せられたビニールシートの下には、前任者が残していった昔の座席表や昔のカレンダー、誰かの写真、古い金利表、M&Mチョコレートの粒から手足が生えたキャラクターのイラストを拡大コピーした紙などがぴったりと重ねあわされている。こうした場所から立ち上がる小説とは、どんなものなのだろうか。そもそも、立ち上がるのだろうか。